フィルムカメラの物語 #1 カメラ屋店員のカメラ観

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フィルムカメラの魅力に
とりつかれたカメラ屋店員のカメラ観

3 年前、高校写真部に入部したばかりだった私が
不意にジャンクカゴから拾った EOS5。

私のフィルム写真の原点です。

 

そのとき使っていたカメラは当時の入門機、
EOSkissX7。

典型的な高校生写真部員だった私ですが、
ある日ふと思ったのです。

 

写真をもっと知りたい。

[EOS5]

レンズもジャンクの 28-90mm、
最初のフィルムはそのとき店頭にあった
FUJIFILM の SUPERIA PREMIUM400。

フィルムにおける入門のようなセットで撮った27 枚は、
実に散々な出来でした。

そして思います。

もっと上手くなりたい、
自分の腕で写真を撮りたい、と。

 

現代のカメラの性能の恩恵をありがたく
受け取っている私は、カメラに甘やかされていました。

 

被写体と対峙すること。
写真と対峙すること。
カメラと対峙すること。

ポジフィルムにも挑戦しました。

仕上がったポジフィルムを初めて
光に透かしたときの感動は忘れられません。

自分のファイ ンダー越しに見た光景が
36mm×24mm に閉じ込められているのは
感慨深いものがありま す。

かつて、かの CONTAXは
こんなキャッチコピーを世に出しました。

「フィルムの夢、デジタルの力」

この一言に今の私のカメラへの想いは
詰め込まれています。

 

フィルムが単なるデジタルの劣化版として
捉えられないのもそこに理由があるでしょう。

今まで 35mm フィルムの世界にいた私ですが、
フィルムにはブローニーというものが存在します。

 

35mm フィルムが逆立ちしても
手に入れることのできない
そのフォーマットの大きさ。

 

夢を追い求めた私の手元には、イコンタがいました。

[Ikonta 523/16]

このカメラにはオートフォーカスはおろか、
連動距離計すらついていません。

そして露出計もついていません。

いわば、シャッターを切ることしかして
くれないカメラなのです。

そんな不便なカメラを私は無性に愛しています。

 

不便を愛するということ。
フィルムカメラでの撮影はデジタルに比べれば
何倍もの段階を踏んで行うものです。つまり
時間がかかるということですが、
裏を返せばそれは、
被写体に向き合っている時間が長いということでもあります。
そして自分の握るカメラと対峙する時間も必然的に長くなっていきます。
時間を無駄にする、という行為が愛おしく感じられるのが
フィルムカメラなのだと私は思っています。
そしてカメラには歴史が宿っています。
どんなカメラも、自分の手に収まるまでの歴史がある。

 

私の手元には今、
半世紀以上前に発売されたカメラが 3 台あります。

それ以外のカメラたちも、様々な人の手に渡りながら、
今に至るまでの時間を過ごしてきたのです。

かつての光を 捉えたカメラで今の光を捉えること。
そう考えるとワクワクしてきませんか。

[PENTAX 6X7]

山梨を代表する名産品である宝石の美しい色を
引き出すのは”欠陥”と呼ばれる空洞だそうで す。

完璧であることだけがいいことではない。
これはカメラにも同じことが言えるのではないでしょうか。

 

どんなカメラにも欠陥は存在します。

しかしそこには、多くの人を惹きつけるだけの
輝く魅力が存在するのだと思います。

 

フィルムの夢、デジタルの力。

 

私は今日も現代社会の暇を縫って、
そんな夢の詰まったカメラたちとともに
ゆるやかな時間を過ごしているのです。

(著者:フォレストカメラ スタッフ中澤 )

https://twitter.com/zawa_Camera?s=09

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