フィルムカメラの物語②

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写真とカメラに思うこと。
横丁のカメラじい さまの独り言。

 

はじまりは門前の小僧よろしく

 

小生俗に云うアラカン時代のじいさまです。
アラカンでじいさまとは?と思われますね?

 

現役時代からじいさまと呼ばれていましたのでご勘弁を。
写真とカメラを趣味として
早や半世紀以上の月日が流れました。
そんな横丁のじいさまの独り言など、、、、、

 

自身が幼い日、祖父の家に遊びに行くと、
テーブルの上には 天秤ハカリといろいろな薬品が
入った容器が置いてあります。

 

祖父はその前に座り、
老眼鏡をずらしながら
慎重な顔つきと手つきでハカリと格闘をしていました。

 

それは、フィルム現像やプリント時に使用する
秘密の薬剤を調合していたんですね。

 

当時は後世のように調合済みの薬剤が
簡単に入手できません。

 

みな独自の秘密のレシピを持っていたようです。

 

写真愛好家はみな、そんな調合をしていた時代のはなし。

 

その調合が終わると、祖父は自分に声をかけてくれます。

 

わくわくしながら、ともに「暗室」こもれるんです。

秘密基地のような暗室では、フィルム現像は手探りで、
プリントは安全灯のもと祖父のレクチャーを受けた思い出です。

小学校高学年になると父から当時の大ベストセラー機
「OlympusPen」を譲り受けます。

 

そのカメラは祖父から父へのプレゼントだったのですが
父本人が持てあまし小生の手元に舞い降りました。

 

当時はフィルムがまだ高価で撮影の前には
祖父の家に行き SS クラスの 100ft缶から
街の写真屋さんで譲り受けた
パトローネに詰め替えて使用することが当たりまえでしたね。

 

100ft缶というのは、36 枚撮りのフィルム、
約 18 本分が一本になっています。

 

使う分だけ小分けに巻き取れるので
詰め替える手間はありますが
市販のフィルム価格より格安でした。

 

その100ft缶からパトローネへの詰め替えは
ぎりぎりまで巻き込むと
ライカサイズで 40 枚弱可能です。

OlympusPen はハーフサイズですから
約80 枚の写真が撮影できました。

余談ですが。

当時の笑い話として、
ごく普通の一般家庭のハーフサイズカメラには
お正月からはじまり、
桃の節句、入学式、端午の節句 夏休み、
お月見、運動会、クリスマス、が並んでる。

 

そんなことがまことしやかに。
まあ、火のないところにですね。

ではいざ撮影!

しかし手もとのカメラは OlympusPen 初代機。
絞りも、シャッタースピードも、ピントも
自分で決めなければなりません。

祖父はカメラの裏ブタに

「晴れた日は絞り F16 でシャッターは 1/250、
曇りや日陰は F8 で 1/250」

などと書き込んだメモを張り付けてくれました。

目測のピントは自分の一歩幅が 40cm、
などを覚え参考に。

でも実際には距離環にある赤い数字
2 メーターと 5 メーターが役に立ちました。

 

初めての一眼レフ!
カメラ沼への入り口にはまった!!!

祖父は小生が小学校 3 年生の夏他界しましたが、
カメラ小僧育成役の引き継ぎは祖父の友人。

その後も OlympusPen は相変わらず大活躍です。

学校の遠足、運動会、学芸会はもちろん、
町内会行事、家族の日常スナップ。

 

転機が訪れます。

 

それは祖父の死去に伴い、
祖父宅の近所に引っ越しました。

 

ということは、、、、
そうです!暗室使い放題です。

 

祖父の友人の教えもあり、
小学校高学年のころには
薬品調合からはじまり DPE も一通りこなせるようになっていました。

カメラ小僧は、中学校に入り
3 年生に進級する際、山岳部へ入部。

 

学校はいわゆるエスカレーターでしたので
高校の山岳部。

 

写真撮影は相変わらずです。

OlympusPen は使い続けています。
確かに良いカメラですが
ハーフサイズの限界も感じました。

 

ちゃんとしたカメラが欲しい、、、、、
レンズ交換していろんなものごとを撮影したい、、、、、

そこで、貯めてきたお年玉をもとに,祖母に援助を頼みました。

-まあほとんどが彼女のお財布です-。

 

カメラ買うならややっぱり Nikon かな。
Canon もかっこよさそう?

TV コマーシャルで
「ボーエンだよ、ボウエン、ワイドだよ、ワイド」
盛んに流れていた Pentax?

 

そんな時 TV からコマーシャルが流れてきました。
男兄弟、兄は二段ベッドの上で高いびき。

弟が山登りに出発する深夜の部屋。

 

兄の机の上には一眼レフが置いてあります。
弟はそのカメラに羨望のまなざしを送っています。

 

そんなとき、
「持って行っていいぞ!」
兄の一声。

 

弟は笑顔でカメラをタオルにくるみ、
ヤッケのポケットに入れます。

 

『小型軽量一眼レフ「オリンパス OM-1」』

そんなナレーションが流れました。

 

これだ!このカメラだ!
山に持ってゆく荷物は 1 グラムでも軽くしたい。

 

そんな時に山男を題材にしたコマーシャル。

 

自分には決定打となりカメラ屋さんへ走ります。

 

ちなみに当時は、今のように大型カメラ店はありません。
カメラ購入は、町のカメラ屋さんでした。

 

一週間ほどして、カメラ屋さんから入荷の連絡。

「御嫁さんきましたよ。」

御嫁入りしてくれた OM-1 はどこへ行くにも
肌身離さず持ち歩きました。

 

山行ではコマーシャルと同じように
タオルにくるんで
ヤッケのポケットに入れていましたっけ。

 

そのカメラは、今でも健在です。

オーバーホールを繰り返し、
クロームモデルをブラックへも換装しました。

 

その後も学生時代にはこずかいを貯めたり
祖母からの援助をたよりに細々と、しぶとく?続きます。

OM-1 発売時のキャッチコピー。
「宇宙からバクテリアまで」
とはいきませんでしたが
広角、中望遠、望遠、フラッシュなど一通りのシステムも完成です。

 

ガールフレンドができたときは、
彼女を撮影するため
嬉々としてデートした鎌倉へ持ち出したのも淡い思い出ですね。

 

一足飛びに最新カメラへ!!

1985 年、日本のカメラ業界に衝撃が走りました。
もちろん、小生にも!

 

それは当時のミノルタカメラ株式会社から
「α-7000」が発売されたのです。

そうです、今は当たり前の本格的オートフォーカスカメラ。

オートフォーカスは
当時のコンパクトカメラでは
当たり前の機能になっていました。

 

しかしα-7000 は本格的一眼レフに
その機能を組み込み発売されました。

 

Nikon ではその 2 年前 F3 のファインダーに
AF 機能を組み込んだ F3-AF を発売していましたが、
使用可能なレンズも専用 2 本のみで
決して実用向きではありません。

しかし F3-AF は、当時の Nikon の技術力の結晶ですね。

 

そこに広角から、望遠、ズームの各種のレンズと フラッシュ、
各種アタッチメントなどをラインナップした
実用機としてのαシステムが発売されたのです。

 

それまでのミノルタカメラは
どちらかと言えば地味な存在でした。

 

プロカメラマンでは篠山紀信さんが
愛用していたくらいです。

あと♪今のきみはぁ~ピカピカにひかってェ~♪
宮崎美子さんのコマーシャルが
話題にはなりましたが カメラの売れ行きは、、、、、

 

そのころには立派な
カメラオタクに成長していた小生も、
OM システムの中から
あまり使わない機材を下取りに出し、
(昔は新しいカメラを購入する際は、それまでの愛用品を
下取りに出して購入することが当たり前でした。

 

カメラがまだ「耐久消費財」としての価値があったからですね)
バイト代をねん出し、、、、、
(祖母の財布をあてにして)
念願のα-7000 を入手します。

 

今になって思い返せば、
オートフォーカスも遅く
被写体によってはピントが行ったり来たりする精度でした。

 

それでも、それまでは OlympusOM-1
という ピントも露出も完全マニュアル機に
慣れ親しんだ自分です。

 

それがいきなり「ピントも露出も自動!」なんですよ。
「杉作!日本の夜明けじゃ!」
頭巾をかぶり言ったとか言わないとか??

 

そうしているとある事実が発覚します。

今までに比べあまり考えることをせずの撮影です。

撮影スピードが速くなり、
フィルム代がかさんでゆきます。

DPE は自分でするにせよ、
100ft缶から巻き取るにせよ
36 枚ごとに裏ブタを開け、
フィルム交換を繰り返します。。

 

OM-1 では手動一コマずつ、
フィルムを巻き上げていましたが
α-7000 のモーターによる自動巻き上げも
フィルム消費に拍車を掛けました。

 

いまでは考えられませんよね、そんな時代でした。

そんな時、祖父の形見の ContaxIIA
と 35/50/135 のレンズを
祖母から手渡されました、、、、、

 

これを機に その後社会人となりある
程度の収入が入るようになると、、、、

 

やっぱ Nikon だ!Canonはレンズを変えても
色が変わらない!

 

いや舶来品のハッセルだ!ライカだ!
ツアイス、フォクトレンダー、
ホースマン。 ジナーだ!リンホフだ!

シュナイダーだ!ローデンシュトック!
フジノン、コダック、
コマーシャルコンゴーだ etc,etc、、、、

 

とカメラ&レンズの沼にずぶずぶと、、、、

 

なんていうじいさまの与太話はさておき、
皆様もカメラを趣味としていると
忘れられないことの 一つや二つおありになりませんか?

 

カメラを趣味にしていて忘れられないこと。

正直いろいろありますね。

その中でも思うことは、
撮影するためには被写体を
ファインダー超しにみるとき
構図を考えるんですが、
これがまたうまくいかない。

 

なぜだ?なんでだ?
撮影するときは自分の考えた
主題に神経が集中しています。

 

そこばかりを見ているから
頭の中の構図では
主題が構図の中心を占めています。

 

意識の大半で主題が強調されているんですね。

ですが、、、、、
ネガを見ると思ったより
小さかったり大きすぎたりなんです。

自己満足の構図の典型ですね。
落ち込むことの連続です。

 

その落ち込みから自身の視神経を
引っ張り上げたくて あらゆる写真、
絵画、焼き物、などを片っ端から鑑賞しました。

 

そこで、黄金比率とか、
フォーカルポイントとか
視線誘導、バランス、配色などを覚えます。

そのような日々を過ごしていると、
様々な分野の方と出会います。

 

そのころに伺ったお話は
今でもある意味財産になっていますね。

 

忘れられない景色。

写真撮影の撮影対象は無限ともいえます。
風景、行事、人物、植物、野鳥、食べ物、
テーブルフォト。

 

休日はお気に入りのカメラを下げてのお出掛け。

 

通勤、通学時はいつも鞄にカメラを忍ばせていたり。
行動範囲とその目的が広がってゆきます。

 

山岳部に所属していたことは先述差し上げました。

そんな時先輩から、
「歩荷(ボッカ)のバイトあるけどいかないか?」

「荷揚げ後は飲み放題・食い放題。
ベースキャンプから
他の山に行っても自由、期間は 2 週間。
彼が満足できる仕事ができなければ
2 週間は延長され未定になる。
逆に 3 日間で満足できたとしても、
2 週間は山にこもる。
ギャラは 2 週間分を保証、延長分の支払いも問題なし。」

 

季節は 12 月、厳冬期の冬山です。
歩荷というのは山行時に
雇い主の荷物を運ぶ要員です。

 

荷揚げ専門の要員ですね。

雇い主は著名な山岳写真家でした。

彼は大判カメラを使い厳しくも、
美しく、雄大な 国内・国外の山々の
写真を撮影するあこがれの写真家でした。

 

彼が使う、大判カメラのフィルムは
シート状になっています。

シート状のフィルムを専用の
フォルダーに入れカメラに取り付けます。

普通のカメラのように、
一枚撮影したらフィルムを巻き上げ
次の一枚を撮影する。

 

そうではありません。
一枚撮影するごとにフィルムを装填しなおします。

 

構図はピントグラスを使って決めます。
ピントグラスに映る景色は上下左右すべてが逆像です。

 

大判カメラには主にフィルムサイズに
より 2 種類に分かれます。

 

一つは 4×5(シノゴ=4 インチ×5 インチのフィルムサイズ)
他方は 8×10(バイテン=8 インチ×10 インチのフィルムサイズ)

 

フィルムを収納するフォルダーは、
4×5サイズは一枚のフォルダーの表裏に一枚ずつ。

 

8×10 サイズのフォルダーには一枚の
フィルムを装填します。

 

4×5サイズで 100 枚撮影するには
50 枚のフォルダーが必要です。

自分たちが運び上げる荷物は、
テント・食料・調理器具・備品。

 

そのほかに、頑丈なアルミケースに入った
フィルムフォルダー。

 

カメラ・レンズ・三脚・露出計などは、
写真家も自ら背負い、
アシスタントさんとともに運び上げます。

 

自分が担当した荷物の重量も半端なく
優に 80kgは超えていたでしょう。

 

当時の自分は身長 174cm、
体重 47kgでした。

いまでは考えられないですけれど、、、、

 

それでも山に行けて、
バイト代まで頂ける。

 

何よりも著名な写真家の撮影を目の前で学べる!
荷物にはおののきましたけれど、
断る理由はありません。

 

荷物の重さにアゴを出しながらも
3 日かけて ベースキャンプ地への
荷揚げを無事に終えました。

 

初日は雄大な冬山の景色を
見ながら写真家の話を伺い鍋をつつき、
酒を呑み(高校生でしたけれど時効ですね)ましたね。

 

翌日は日の出前、撮影開始です。
寒い寒い! 寒さは震えるのではなく、
空気が痛いんです。

 

熱い風呂につかると、熱いんではなく痛い。
あの感覚に似ています。それも、逆です。

 

自分は先輩と日の出に明け行く山を見ていました。
雪の肌に陽が差し込みだし、徐々に色を変え始めます。

そんな風景を見ていると、
訳もなく涙が流れてきますよ。

 

人間を超越した自然の偉大さ。
人間より大きな何かの存在を感じます。

 

自分は無神論者ですが
「先輩、神様ってきっといますよね。」

 

ミッション系の学校に
通っていたからかもしれません。
(もっとも同級生に寺の坊さんの倅いましたけど)

 

自分でもその神々しさをフィルムに
焼き付けたくて 胸に下げた OM-1 を持ち、
立ち上がりました。

 

そのときです。

「立ちあがるんじゃない!」

写真家の大声です。

 

「君が動くと、空気が動いて景色が変わる!」

彼のカメラから、自分は後ろに位置し、
優に 100 メートルは離れていました。

 

視界の外にいたんですね。不思議でした。

彼は全身で張り詰めた大気を感じ取っていたんです。

すっげー!!
17 歳の自分は、プロの仕事を目の当たりにしました。

いつもニコニコしている写真家でしたが
その時のオーラは半端ないものでしたね。

 

三脚にカメラを立て、
レリーズを握り 撮影の一瞬をまつのですが、
撮影しない日もありました。

 

彼曰く「今日は空気が悪い、、、、」だそうです。

 

時には

「歩荷君、今日の空気は良いから撮ってみるかい?」

お許しを頂き、大型カメラを拝借し、
写真家とならべ、

「いまだよ!」

彼の声に合わせてレリーズを切ります。

 

出来上がった一枚は、
同じタイミング、同じレンズ、 同じ構図、
同じフィルム、同じ絞り、同じシャッター速度でも。

 

全く違うんですね。

 

彼の一枚には物語が写りこんでいます。

 

一枚の写真から、物語が語り掛けてきます。
大げさに言えば、見る人に人生の物語を思わせてくれます。

それに比べ、自分の写真はただ冬山が写っているだけでした。
当たり前と言えば、当たり前すぎますが。

 

あの 2 週間で観た雄大な冬山の景色はもちろんですが、
カメラを構える写真家の姿も点景となっていました。

 

忘れられない景色ですね。

 

フィルムカメラの魅力と
アナログ人気の秘密?

いまは写真と言えばデジタル全盛ですけれども、
自分はあえて、フィルムカメラにこだわっています。

それは、何故なんだろう?と自問自答してみますね。

 

ここからは、かなり偏った思いになるかもしれません。
横丁の偏屈ジイサマのつぶやきとして、
ご容赦くださいな。

 

OlympusPen からはじまった門前の小僧も
半世紀以上の時を経て
り~~~~~っぱなアナログ写真じいさまになりました。

 

自分はまず、カメラという機械が好きなんだと思います。

日本の高度成長期時代に培われた加工技術、
人間工学に基ついた操作性、
それを殺さないデザイン。

 

何よりも「金属製」であること。

 

今のデジタルカメラでも、
マグネシウム合金製とか、
一体成型のアルミ合金製だとかはありますね。

 

それでも、
直接手に触れる部分は樹脂だったりします。

 

なんか、魅力を感じないんですよね。

 

自分は製造業に携わっておりました。
設計、デザイン、加工、表面仕上げ、積算、など、
一通りの知識と方法を理解もし技術もあります。

対象は、金属・木工・樹脂など多岐にわたりました。

 

そんな会社員人生を歩んでまいりましたが、
最近の車にせよ、カメラにせよ、家電にせよ。

「この車のデザイナーさん、車運転できるの?」
「このカメラのデザイナーさん、写真撮ったことある?」
「この洗濯機のデザイナーさん、身長の低い人いるのわかってる?」

 

などと、感じてしまうことが多々あります。

 

デザイン優先とメーカーの
加工技術発表会みたいで 車にせよ、
カメラにせよ、家電にせよ、 人間が生活の中で使う道具としての
根本が見えないように思います。

 

それにくらべりゃ昔のカメラはよお、、、、
よっ、ご隠居さん! なんて言葉が聞こえてきそうですが。

 

「カメラは写真を撮影する道具」

 

昔のカメラはその根本から出発し、
デザイン、加工技術を開発し盛り込んでいました。

 

Nikon のデザインを担当したジウジアーローさんは
それまで写真撮影にあまり興味を持たなかったけれど
Nikon のデザインを承諾したとき、
写真と、カメラについて
かなり勉強をされたという逸話を聞いたことがあります。

 

 

そんな当時の開発陣達と、
より良い写真を撮影する製品を
より多くの方々に広めたい、セールス担当者。

 

道具の根本を理解されていたと感じます。

 

「黒革病」という言葉があります。

カメラオタク用語です。

 

フィルムカメラ=金属製表面仕上げは、
普通クロームメッキ仕上げが基本です。

 

それとは別に黒色塗装仕上げが存在します。

これは一説にはプロカメラマンを対象にした製品だとか。

価格もクローム仕上げに比べ 3 割程度高価です。

 

この 3 割が、、、、、
一般コンシューマーにはハードルなんですね。

 

自分よりひと世代上の方々は、
ベトナム戦争当時、 クローム仕上げのカメラは
光を反射し狙撃の目標になった。

 

黒色塗装のカメラは反射がないから安全だった。

報道カメラマンが携える塗装が剥げ、
真鍮の生地が見えるカメラには 事件現場の声が聞こえる。

 

などなど。
そのような伝説ともいえる逸話を語られます。

 

じっさい、使い込まれ、
塗装が剥げ真鍮の垣間見える個体には
道具としての魂が宿っているとも感じます。

 

いや、カメラとしての基本。
写真を撮影するだけであれば
クローム製品でも問題はないんですけれどね。

 

ジイサマはいったい何が言いたいの??

 

ですよね。 歳とると回りくどくっていけないねえ。

 

往年のフィルムカメラには、
使い込むにしたがって自分の視神経が籠るというか
道具としての愛着がわきます。

 

耐久消費財。

 

かつてのカメラはその言葉の象徴でもありました。
購入時は高価でも長く使える機械で、道具でした。

 

今のカメラはどうでしょう。
確かに良く写ります。

 

撮影は極端に言えば何も考えなくても
良い写真が撮れるのでしょう。

 

でも、そのカメラを、
三年も、五年も、十年も使い込みますか。

半年もすれば最新機種が発表され 性能的にも、
価格的にも価値は大幅にダウンします。

 

ジイサマは今のカメラを
家電製品と位置付けています。

 

「電池がないと動かないなんてエのは、写真機じゃなえ」

 

メーカーの技術開発陣の切磋琢磨する姿は否定しません。
かつて自分もその世界に居りましたので。

 

最近は音楽においても
若者が昔のレコードを購入しているとか。

 

カセットテープで新曲を発表するアーチストもいるとか。

 

若者のアナログ回帰の声も聞こえます。
フィルムカメラは、完全にアナログの世界です。

 

レコードも、カセットテープも、フィルムも、
自分の身を削りながら役割を果たすのです。

 

再現される音や、
映像は デジタルにはない
「アタタカミ」を我々に提供してくれます。

 

そのようなところが、デジタルにはない
フィルムカメラの魅力と、
アナログ人気の要因ではないかと思います。

 

これからアナログ沼へ入られる方へ。

うわっ
我ながらとんでもないタイトルをつけてしまいました。

でも、ご安心ください。

 

この沼にはもしかしたら「金の斧」が
沈んでいるかもしれませんよ。

 

それを引き上げるのはあなたかも?

アナログカメラの魅力は何といっても
「手間がかかる!」この一言です。

 

フィルムを買い、パッケージをあけ、
カメラの裏ブタを開け
パーフォレーションをしっかりギアに絡ませ、
裏ブタを閉じ、最初の一枚まで、巻き上げ。

 

フィルムをカメラに装填するだけでも、
これだけの手間がかかります。

 

この後は、構図を決め、 シャッター速度と絞りを、

自分の表現に合わせて選択し。

ピント合わせをし。 ここで初めてシャッターを切ります。

 

うわっ、メンドクサソー!!????
スマホのほうがはるかに簡単!

 

写真を撮影するだけであれば、そうですね。
では、なぜあなたはフィルムカメラに
興味を持たれたのですか?

 

なんか、昔のカメラ提げてる友達見てると
人と違ってかっこよさそうだから。

 

昔、
親御さんの若いころの写真や
自分を撮影してくれた、
フィルムカメラの写真。

 

そのアルバム見てると今の写真となんか違う。

 

人それぞれですね。

 

でも、フィルムカメラは
手間がかかるけれど、
満足して撮れた一枚の価値に重みがあるように思います。

 

その手間を楽しめることが
フィルムカメラの魅力なんですね。

 

自転車には乗れますか?

最初に自転車に乗った時のことを思い出せますか?

 

左右に補助輪があってそれでもおっかなびっくり。
ブレーキをかけ忘れて壁や柵にぶつかったり。

 

ある程度慣れてくると、補助輪は、片方だけになって。

バランス崩して、転びませんでした?

補助輪なしになってからはもっと悲惨?
でしたね?! 転んでひざ小僧すりむいたりしませんでしたか?

 

でも、いつの間にか、自由自在に乗りこなせましたね。

 

写真もおんなじです。

 

カメラとフィルムという道具を使いますけれど
いつの間にか、自由自在に、
使いこなせるようになります。

 

じいさまを、カメラ小僧から、
いっぱしのオタクに 育て上げて?下さった、祖父の友人は。

 

「このレンズは、僕の手の中に入っています。
あらゆる距離、絞りでどんな像を結ぶか。
どんなボケ方をするか。 すべてわかっています。」

 

彼の撮影したネガを見ながら、

 

「この 7 番目のこま、いいっすね」

 

そう言いかけると

 

「いや、その 2 こま後、9 こま目が、
もうちょっといいかも 。
絞り 1/3 変えたから」

 

確かにそうでした。

まあ彼はオタク気質の塊でしたから。

 

アナログカメラは、機材自体が、
愛するに足りる?

 

使い込めば込むほど、自分の意思を、
フィルム上に再現できる道具です。

 

デジタル撮影ですと、
あっ、これ失敗した! さーくじょ!削除!

 

フィルムカメラは、残念ながら、
これができません。

 

失敗は失敗として、
残酷ですが ネガとしてあなたの前に
「こんにちは!」とお見えになります。

 

その繰り返しが、復習となり、
反省となり 上達への道が開けてくるようです。

 

手間がかかるからこそ、
考えて、悩むかもしれませんね。

 

そうして、いつかは、
物語のある一枚を
撮影できるようになれるかもしれませんね。

 

余談ですが:
こんな、じいさまでも時々頼まれ仕事で、撮影をします。

 

そんな時は、、、、、
じつは、フルサイズのデジカメを持ち出すんです。

 

えへへ。

でも、カメラにスイッチや、
ボタンが、たくさんあって。

 

勝手にレンズが動いたり。

 

バシャ、バシャ、バシャと連写したり。

 

だれか、師匠を、御紹介願えませんか。
(ライター:マルトク彩工舎)

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